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熊本地方裁判所 昭和41年(ワ)627号 判決

原告

東準之助

右訴訟代理人

千場茂勝

外一名

被告

熊本県

右代表者

沢田一精

右訴訟代理人

篠原一男

外一名

主文

1  被告は原告に対し、金二、二九三、七五九円および内金一、九九三、七五九円に対する昭和四一年一〇月三一日から、内金三〇万円に対する昭和四九年一二月二六日から、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一、原告

1  被告は原告に対し、金三四五万円および内金三〇〇万円に対する昭和四一年一〇月三一日から、内金四五万円に対する昭和四八年五月一八日から各支払済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。〈以下省略〉

理由

第一休職処分について

一本件休職処分の存在

原告が昭和二四年一月一日から被告熊本県に就職し、昭和三六年九月から県人吉職業訓練所の事務吏員として同所の庶務を担当していたこと、および昭和三八年一〇月一五日当時の知事寺本広作から、地方公務員法二八条二項一号の規定により、同年八月二四日付で、同日から一年間休職に付する旨の処分をうけたことは、当事者間に争いがない。

二本件休職処分の適否

まず、本件休職処分が適法であるかどうかを判断するに当り、地公法二八条二項一号所定の休職処分制度について考えてみる。同制度は、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的からその処分権限を任命権者に認めるとともに、公務員の身分保障の見地からその処分権限を発動しうる場合を限定したものである。しかして、休職処分により休職者は、休職期間中職務に従事できなくなり、かつ原則としていかなる給与も支給されないことになるのであるから(熊本県職員の分限に関する条例四条、但し同県一般職の職員の給与に関する条例一五条の九により若干の例外の定めがある。)、休職処分は休職者の生活に重大な影響を及ぼすものというべく、したがつて、任命権者は休職事由の有無すなわち心身の故障の程度が長期休養を要するかどうかについてはもとより、休職期間の定めについても慎重であることが要求されるものであるといわねばならない。その判断については任命権者にある程度の裁量権は認められるが、いやしくも恣意にわたることが許されないのは、もとより、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤つた違法なものであると解すべきである。

そこで、右の観点から、本件休職処分の適否について検討する。

1 (指定医師二名の診断を経ていない違法)

熊本県職員の分限に関する条例二条に、任命権者が地公法二八条二項一号の規定に該当するものとして休職処分にする場合には、医師二名を指定して予め診断を行わせなければならないと定められていること、および右規定の趣旨が任命権者をして、休職処分をうける職員の病気およびその予後につき正確かつ真実に従つた認定をすることを担保させ、よつて、職員の身分保障を全うせんとする趣旨であることは、いずれも、当事者間に争いがない。

そこで、知事が本件休職処分にあたり、原告につき指定の医師二名により予め診断をうけさせたかどうかについて調べてみると、〈証拠〉によれば、原告は本件休職処分に先立ち、池田、帖佐両医師から予め診断をうけたものとされているが、原告が実際に診察をうけたのは池田医師のみで、帖佐医師は原告につき診察をせずに池田医師と協議したのみで前記乙第一号証の五の診断書に連署したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、医師法二〇条によれば、医師は自ら診察しないで診断書を交付してはならないと規定し、これに反する行為は同法三三条により処罰されるものと定められているのであるから、帖佐医師が前記認定のように原告を診察しないで診断したことは明らかに違法というほかはない。

被告はこの点につき、本件休職処分は前記帖佐、池田両医師の連署の診断書によつてでなく、鶴上純一医師の診断書と池田医師の診断書に基づいてなされたものであると主張するが、鶴上医師が本件休職処分に当り知事およびその補助機関から原告につき診断をするよう指定をうけたとの証拠はなく、また、〈証拠〉によれば、同医師が原告に交付した昭和三八年九月一三日付診断書は、原告が職場に復帰することを前提として作成したものであり、休職処分を予想したものではないから右診断書を参考に供したことをもつて、知事が前記条例の趣旨に従つて鶴上医師を指定して原告を診断せしめたと解することはできない(もし、そう解しなければ、前記条例の規定は任命権に対する訓示規定たるに止まり、休職者の身分保障をはかる趣旨を没却することになろう。)。

してみれば、本件休職処分は、前記条例所定の任命権者による指定医師二名の診断を経ることなく行われたものというほかなく、その手続において、すでに条例に反した違法があるといわねばならない。

2  (違法診断書を判断の基礎とした違法)

さて、〈証拠〉によれば、本件休職処分は昭和三八年一〇月一〇日付で知事決裁になつていることが認められるところ、右決裁にあたり、前顕乙第一号証の五の帖佐、池田両医師連署の同年一〇月三日付診断書が認定資料とされたことは、右書証が前記乙第一号証の一の知事決裁文書の付属文書として提出され、しかも、右診断書には休職用診断書と明記されていること、および〈証拠〉によつて明らかである。

しかして、右診断書は、前記のとおり、帖佐医師が原告を診察せずに単に池田医師と協議したのみで診断したものであるから、連名の診断書としては重大な瑕疵があるものというべく(これを池田医師単名の診断書とみることの許されないことは事柄の性質上当然であろう。)、したがつて、知事は、これを本件休職処分の認定資料に供してはならないといわねばならない。しかるに、知事は、判定および意見として、「全身状態軽度に恢復したれど向後一年間安静加療の必要あるものと思考す。」と記載されている前記診断書を認定資料として、休職期間一年の休職処分をしたものであるから、その休職処分認定過程に違法があるといわねばならない。

被告は、右診断書は身体検査審議会に提出されていないから本件休職処分に影響を与えていないと主張する。なるほど、〈証拠〉によれば、昭和三八年九月二六日開催の右審議会に提出されたのは、鶴上医師作成の同年九月一三日付診断書および池田医師作成の同年同月二五日付診断書の二通であり、同審議会は前記一〇月三日付診断書を参照せずして本件休職処分相当の答申をしたことが認められる。

しかし、原告を休職処分にするには、前記条例二条の規定により指定医師二名の診断を経ることを要するとされているところ、〈証拠〉によれば、右一〇月三日付診断書は、右審議会開催後、池田医師に対し、前記九月二五日付診断書の記載中、午前中勤務とあるのでは事務処理の都合上困るから休養すべきものとすれば、どの程度の休養期間を要するかという点を明らかにした医師二名連記の様式による診断書を作成されたいとの要請があり、池田医師はそれが原告の休職処分に使用される正規の診断書となることの認識のもとに作成したことが認められ、前記川上証人の証言のように、単に書式を整えるために作成されたものとは到底認められない。

のみならず、〈証拠〉によれば、身体検査審議会は、同審議会規程に基づき設置された部内の諮問機関にすぎないから、本件休職処分につき決定権を有する知事が右診断書を認定資料としている以上、右審議会が同診断書を認定資料とせずして答申したことをもつて、同診断書が本件休職処分に影響を与えないとの被告の主張は採用の限りでない。

しかも、右審議会に提出された前記二通の診断書は、いずれも勤務につくことが可能であることを前提に、九月一三日付診断書では「およそ一日四、五時間の勤務が暫らくの間適当と考える。」、九月二五日付診断書では、「作業内容と作業時間に留意することが望ましい。勤務時間午前中。」と記載されている(右診断書の内容については当事者間に争いがない)のに対し、一〇月三日付帖佐、池田両医師作成の診断書には「全身状態軽度に恢復したれど向後尚一年間安静加療の必要あるものと思考する。」との記載がなされ、また同診断書の作成経緯が前記のとおりであることに徴すれば、同診断書が知事のなした本件休職処分に影響を与えないとは到底考えられない。

3 (休職期間の始期の瑕疵)

本件休職処分は、前記のとおり、昭和三八年八月二四日に遡り、同日から一年間の休職期間を定めて同年一〇月一五日発令されたものであること前記のとおりである。この点につき、被告は休職期間の始期を私傷病休暇の満了した日の翌日たる同年八月二四日に遡求させないと、休職発令日まで原告に支給した給料の返戻を求めることになるので、その不利益を考慮したものであるから、右遡求は違法でないと主張するが、分限処分は一般的に職員にとつて不利益な処分であるから、かような人事行政上の処分は、任命権者の意思表示が本人に到達したときに効力を生じ、本人の明示の承諾がない限り、過去に遡つて処分を行うことはできないと解するのが相当である。

したがつて、本件休職処分の遡求発令について原告が承諾していないことが〈証拠〉によつて明らかである本件においては、被告が前記のとおり、八月二四日に遡求して休職処分をしたことは違法というほかない。

のみならず、被告が原告の私傷病休暇は八月二三日限りで満了したと解し、翌八月二四日から休職相当と判断した点についても違法である。

すなわち、熊本県職員の休日、休暇に関する条例七条が「服務監督権者は職員が私傷病により療養を必要と認めるときは、引き続き九〇日以内の期間を限り、有給休暇を与えることができる。」と規定していることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を綜合すれば、原告が私傷病休暇を継続してとるに至つたのは昭和三八年六月一八日からであること、中村所長は同年九月一五日が私傷病休暇の満了日であるとしてその限度で原告に右休暇を付与し、原告は同年九月一四日から出勤したことが認められ、右六月一八日から起算して九月一五日までの期間が九〇日以内であることは計算上明らかである。してみれば、中村所長が原告に付与した休暇は前記条例の規定に照らして相当であるというべきである。

しかるに、被告は右条例に関する総務部長通達が「職員が断続的に休暇を請求する場合において休暇の日数が多い場合、例えば私傷病による休暇の日数が年間九〇日に達するような場合は、引き続いたものとして取り扱うことがあるので、あらかじめ人事課に連絡すること」と示達していることを根拠にして、断続的な場合でも、それが短期間に繰り返されて九〇日を越えるときは、これを引き続いたものとして取り扱うのを通例としていたから、原告の場合は八月二三日で右休暇は満了したと主張する。

しかし、私傷病体暇が断続的にとられる場合の取り扱いについて、被告が原告に対し前記通達を根拠に予め八月二三日を限度として休暇を付与したというのであれば格別(もつとも、この場合には右通達が前記条例に合致するかどうかの点が問題になるが、この点は暫く措く。)、本件においては、前記のとおり条例の明文の規定の範囲内の九月一五日まですでに休暇が付与され、これにより原告はその期間休養したのであるから、後になつて、任命権者が右休暇の取消をすることは右条例の趣旨に反し、かつ勤務条件の事後的更変を許容することになるから、到底許されないといわねばならない。

4  (休職事由および休職期間認定上の過誤)

次に、本件休職事由および休職期間の認定について、任命権者たる知事の過誤もしくは裁量権行使の濫用があつたかどうかについて検討する。

(一) まず、休職事由について考察する。

〈証拠〉(昭和三九年九月二一日付休職処分事由説明書)によれば、原告の休職事由は、「職員にあたえられる有給休暇の期間は九〇日間と定められているところ、貴殿の昭和三八年における勤務状況について調査の結果は、私傷病休暇の期間が満了する昭和三八年八月二四日以降もなお勤務に服していない日があつたためか、爾後も引続き療養すべきであるか否について貴殿から提出された昭和三八年九月一三日付人吉総合病院及び同年九月二五日付人吉保健所発行の診断書によつて、同年九月二六日開催の熊本県職員身体検査審議会に医学的処見を諮問した結果、なお、引続き療養に専念することが適当であるとの答申を得たものである。よつて、爾後引続き療養に専念する期間として休職の発令を行つたものである。」というのであり、かくして、本件休職処分が昭和三八年八月二四日に遡つてなされたことは前記のとおりである。

しかし、地公法二八条二項一号の休職処分は、心身の故障のため長期休養を要する場合になされるものであるから、処分当時において長期休養を要する心身の故障が現在および将来にわたり存すると認定すべき状況のあることが必要であり、たとえ処分前に長期休養を要した疾病があつても、処分時に治癒ないし軽快して長期休養を要する状態になければ休職処分をすることができない筋合であり、しかも休職処分は遡求発令できないこと前記のとおりであるから、本件休職処分の休職事由存否の基準日は昭和三八年一〇月一五日と解するのが相当である。

そこで、本件休職処分当時、原告の心身の状況が被告の休職期間として定めた昭和三九年八月二三日まで休養を要する状態にあつたかどうかにつき検討を進める。

まず、被告が処分理由の一つとして取り上げた人吉総合病院鶴上医師の昭和三八年九月一三日付診断書についてみると、同診断書には、「病名急性脊髄炎、上腕神経痛、低血圧症、リウマチ関節炎、右症のため、休業のうえ治療中であつたが、全身状態恢復し、勤務に差し支えないものと考える。しかしながら、激務は避けるべきで、疲労を来たさぬ程度の作業内容と作業時間に留意する様望まれる。およそ一日四、五時間の勤務が暫らくの間、適当と考える。」との記載がなされていることは当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、原告のの心身状況は、右診断当時、勤務には差し支えないが、病気が治癒しているまでには至らないため、激務につくと再び悪化する可能性もあつたので、勤務時間短縮の意見を付したことが認められる。

次に、前記処分理由書が挙げる池田医師作成の同年九月二五日付診断書についてみると、同診断書には「病名」として「急性脊髄炎、上腕神経痛、リウマチ性関節炎」、「経過の概要」として「昭和三七年一〇月以降体力消耗、精神的焦燥感、食欲不振、頭痛、眩暈等のノイローゼ的症状を呈し、人吉総合病院にて加療中であつたが、全身状態やや軽快し、熊大精神科でも異常的所見は認められず現在に至る。」「現在の症状及び意見」として「自覚的症状としては全身倦怠、頭痛眩暈、焦燥感、不安、四肢(上肢)の震顫を訴える。他覚的には軽度の知覚麻痺運動失調が認められ。」、予後として「向後尚引き続き激務を避け安静加療の必要あるものと認む。」、判定及び意見として「前述の如く、全身状態は軽度に恢復したれど尚引き続き加療を施し、作業内容と作業時間に留意することが望ましい。勤務時間午前中。」と記載されていることは、当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、右診断書は、池田医師が九月二五日に原告を診察した結果に基づき診断したものではなく、同医師が中村所長から詳細な診断所見を求められ、同医師が九月一七日原告を診察し、かつ、鶴上医師の診断の結果を参考にして診断書を作成したものであることが認められる。

前記処分理由書が挙げる右鶴上、池田両医師の診断書の記載に徴すると、原告は昭和三八年九月中旬頃には、いまだ前記疾病のため全日勤務ができる状態にはなく、一日四、五時間ないし午前中の軽勤務により当分の間経過観察を要する状態と診断されていたことが認められる。

そして、原告が昭和三八年九月一四日より出勤した際、原告が人吉訓練所中村所長に対し、前記診断に従い、暫らくの間午前中のみの勤務を認めてくれるよう要請し、六日間程午前中のみ勤務し、午後退庁したことは原告の自陳するところである。

ところで、被告は原告が右ように完全な勤務に耐え得ない健康状態では法令上全勤とされ、時間を制限して勤務することが許されないから休職を命ずるのが相当であると主張する。なるほど、公務員の勤務時間は法定されているから、休暇その他特別の事由で勤務しないことにつき任命権者の承認がある場合を除き、これを短縮して勤務することは公務能率の維持のため原則として許されないことはいうまでもない。

しかしながら、本件のように、医師が原告の当時の職業、勤務条件等に照らして作業時間を一日四、五時間または午前中とすることが望ましいと診断した場合は、いわば半勤務、半休養により暫らくの間経過を観察し、出勤後の状況を精査し、かつ、医師の診断の変化に応じて全勤にするか、それとも休養を要するものとして休職に付するかを決するのが相当であり、通常の勤務ができないからといつて、直ちに休養を要すると速断することは、休職処分制度についてさきに説示したところに照らし相当な判断とは認められない。

とくに、本件においては昭和三八年一〇月一五日付休職処分の発令がなされた僅か一か月以内の同年一一月九日付で中村所長から原告の復職内申がなされ、同内申には同年一一月五日付人吉総合病院鶴上純一、丸山新助両医師連名作成の診断書および同年一一月八日付人吉保健所帖佐一彦、池田清両医師連名作成の診断書が添付され、前者の診断書には「復職に不都合はない」旨の判定意見が付され、また、後者の診断書にも「全身状態は高度に恢復し向後尚月一回の定期検診を行いつゝ激務を避け安静と栄養の補給に留意せば軽度の勤務に服して差支えなきものと思考す」との判定意見が付されていることが、いずれも成立に争いない乙第一一号証の六ないし七によつて認められることに徴すれば、知事の休職事由の判断が合理的なものとして許容されないことが明らかである。

もつとも、そうなれば、本件の場合は原告に休暇がないことから半勤務に応じた給与の支給がなされることになるが〈証拠〉の「熊本県一般職の職員等の給与に関する条例」一二条参照)、右経過観察期間は通常一か月以内で足りると思料されるから、休職処分による不利益との均衡を考慮すれば、むしろ甘受すべきであろう。

(二) 次に、休職期間の定めについて検討する。

被告が本件休職処分の始期を昭和三八年八月二四日とし、同日から向う一年間休職処分にしたことは前記のとおりである。しかして、成立に争いない甲第一一号証の「熊本県職員の分限に関する条例」三条には、「法第二八条二項第一号の規定に該当する場合における休職の期間は三年をこえない範囲内において休職を要する程度に応じ個々の場合について任命権者が定める。」と定められているのであるから、本件休職処分についてなされた前記期間の定めが知事の裁量権の行使として誤りがないかどうかについて考察してみる。

被告は原告の休職期間を一年間と定めたのは行政上の慣例であると述べ、前記川上証人の証言(第一、二回)によれば、被告県の休職期間の取扱いとしては、私傷病休暇満了後も休養の必要があると認められる場合は三、四か月程度の休養を要する場合でも一年間の休職期間を定めて発令し、その間に休職者が復職可能な状態になればその段階で復職申請を出させることにしていたことが認められるので、本件の場合も、右のいわゆる通例に従つて一年間の休職期間が定められたものと推認される。

しかしながら、休職期間に関する右のような取扱いは、休職制度が休職者に対する不利益処分であることを看過した極めて杜撰な事務処理というほかなく、また、前記条例の規定の趣旨にも反する違法なものといわねばならない。

また、被告は池田医師作成の昭和三八年九月一三日付診断書、同年九月二五日付診断書および池田、帖佐両医師の連名による同年一〇月三日付診断書を挙げて、原告には一年間の休養が必要であると主張するが、前記九月一三日付診断書の記載内容(当事者間に争いがない)によれば同診断書には「向後一年間激務を避け、安静と栄養に留意することが望ましい。」との記載があるが、「全身状態恢復し、軽度の勤務には支障なきものと思考さる。」と診断されているのであるから、一年間休養の必要性を裏付ける資料とならないことは明らかであり、また九月二五日付診断書の内容は、前記認定のとおり、これも午前中出勤をしながら当分経過を観察することを診断したものとみるのが相当であり、一〇月三日付診断書には、前記のとおり、「向後一年間安静加療の必要あるものと思考す。」と記載されているが、同診断書は前記のとおり休職期間の認定の資料に供しえない違法な診断書であるから、知事として右診断書を排除して判断すべきであつたものというべきである。

してみれば、原告を休職一年間とすべき的確な資料は存しないというべきであるから、知事が本件休職処分につき定めた期間はその判断に重大な過誤があつたといわねばならない。

以上要するに本件休職処分には休職事由の認定およびこれと一体をなす休職期間の定めについて裁量権行使の違法があつたというべきである。

三責任原因

本件休職処分は、その手続面、実体面の双方について種々違法の点があること前記のとおりであるが、進んで、その責任原因について考えてみる。

まず、前記1および2の違法は、主として被告県人吉保健所の帖佐および池田両医師が休職処分の基礎となつた一〇月三〇日付診断書の作成に当り、医師法二〇条および熊本県職員の分限に関する条例二条の趣旨に添つて各自が直接原告を診察のうえ診断すべき義務を怠り、池田医師が診察したのみで帖佐、池田両名連名の診断書を作成した過失に基因するものというべきである。また、前記3の違法は、休職処分権者である知事において、休職者の承諾のある場合を除き休職処分の始期を遡求してはならず、また熊本県職員の休日、休暇に関する条例七条に則りすでに原告に対し昭和三八年九月一五日まで私傷病休暇を付与されていたのであるから同日前に休職処分を遡求してはならないのにこれを看過したことによるというべきである。

さらに、前記4の違法は処分権者たる知事の次のような過失に基づくものというべきである。すなわち、知事は休職処分の決裁に当り、その添付の診断書中に午前中または一日四、五時間程度の勤務に差支えないとの記載〈証拠〉があり、かつ原告が昭和三八年九月一四日から六日間出勤している旨の出勤簿の記載〈証拠〉があつたのにかかわらず、原告の出勤後の状況やその後の病状等について慎重な調査をなすことを怠り、前記帖佐、池田両名作成の違法な診断書と身体検査審議会の答申を安易に受入れて休職事由を認定し、かつ、休職期間を漫然一年間と定めた過失があつたというべきである。なお、被告は知事が身体検査審議会の答申に基づき処分をなした以上過失はないと主張するが、さきに指摘したとおり、同審議会は知事の内部的な諮問機関にすぎないから、知事がその答申に従つたことを理由として免責されるべきいわれはないといわねばならない。

しかして、前記帖佐、池田両医師の過失は同人等が原告に対する休職処分という知事の公権力の行使に関する診断上のものであり、また、前記知事の過失は公権力の行使そのものに関するものであるから、被告県は国家賠償法一条によりこれによつて生じた原告の損害につき賠償の責を負わねばならない。

第二復職不許可について

原告は昭和三八年一一月五日付で知事宛にした復職許可申請に対する不許可通知が違法であると主張するが、本件においては、すでに休職処分が違法であり、処分権者である知事に過失があつたと判断しているのであるから、知事において休職処分を取消すかまたは復職を命じない以上、復職申請の有無、これに対する任命権者の応答の有無、適否のいかんを問うまでもなく、休職期間中違法な休職処分が継続しているというべきである。したがつて、復職不許可について独立して判断する必要がないといわねばならない。

第三休職延長処分について

一本件休職延長処分の存在

原告が昭和三九年八月二九日当時の知事寺本広作から前記休職期間を昭和三九年八月二四日から昭和四〇年八月二三目まで延長する旨の休職延長処分をうけた事実は、当事者間に争いがない。

二本件休職延長処分の適否

そこで、右処分の適否について判断するに、同処分は形式的には休職処分の延長であるが、その実質は新たな休職処分である(したがつて、違法な休職処分の先行は延長処分を無効ならしめない。)と解するのが相当であるから、この見地から、延長処分の適否について検討する。

〈証拠〉を綜合すると、次の各事実が認められ、同認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一)  原告は本件休職処分後も繰り返し、中村所長らに休職処分の不当を訴えたので、人吉労政事務所長、県職員労働組合役員らが助力の結果、昭和三八年一一月には中村所長および県民生部職業安定課長が総務部長宛に「原告は何ら勤務に支障ない状態に健康を回復した。」として、復職を内申した。そして、中村所長の内申には、前記一一月五日付および一一月八日付の診断書二通が添付された。

しかし、同年一一年二五日開催の身体検査審議会では、原告の病気は寒さに向う時期に復職させるのは適当でないと判定されて、同年一二月二日総務部長決裁で復職できなかつた。

翌昭和三九年に入つてからも、原告は引続き、職業安定課長らを介して人事課と接衝したが、事態が好転せず、七月上旬には、同年六月二〇日付の鶴上医師作成の「現在の症状は昭和三八年一一月五日付診断書記載の症状と殆んど変りなく、当時において事務系統の職務を果し得る状態にあつた。」との診断書を提出したが、復職の実現をみないまま、休職期間満了間近の八月初旬に至り、中村所長から熊本県職員服務規定一六条により休職延長願または復職願および復・休職用の第七号様式の診断書の提出を求められた。

しかし、原告は、右の書類は提出せず、八月二二日付河野人事課長宛上申書を提出し、「本来、原告の休職処分は無効なのであるから、原告の求めるのは復職でも休職延長でもない。したがつて、復・休職用の第七号様式の診断書は提出しない。」旨抗議するとともに、右上申書に復・休職用のいずれにも属さない七月二八日付人吉総合病院医師上原陽一作成の普通診断書を添付した。その診断書の内容は前記六月二〇日付鶴上医師のそれとほぼ同様であつた。

(二)  ところで、八月二四日開催の身体検査審議会において、原告より所定の診断書が提出されないことから、原告の病状は休職処分当時と変らないと判定され、知事はその答申をうけて、人吉訓練所長に「原告には、休職延長または復職願の申請書を提出するよう、再三連絡するも、その提出がないので同人の休職は延長することになつた。」旨通知した(原告に対しては、八月二九日休職期間を延長する旨の辞令を交付して本件処分をしたことはさきに認定したとおりである。)。

以上認定の事実関係、就中、原告の所属長から復職内申が出されていること、昭和三八年一一月五日以降の前記各診断書がすべて復職可能との診断をしていることに徴すれば、原告が本件休職延長処分当時、長期の休養を要する病状にあつて、復職できない状態であつたとは到底認め難い。

また、原告が本件休職延長処分前、被告の求めに応じて復職願および復職診断書(第七号様式)を提出しなかつたことは前記のとおりであるが、任命権者は、休職事由が消滅したときは、速かに復職を命じなければならないのである(この点は前記熊本県職員の分限に関する条例三条二項の明定するところである。)から、原告が右書類を提出しないことを挙げて休職処分延長の事由とすることはできないといわねばならない。むしろ、逆に、原告に対し休職延長処分をするには、休職処分の場合に説示したと同様、右条例二条に則り、知事において医師二名を指定して予め原告の診断を行わせる手続をなすべきであるのに、その手続を履践せずして処分を行つた違法があるというべきである。

そうすると、本件休職延長処分もまた違法というほかない。

三責任原因

本件休職延長処分権者である知事は、右処分により原告が無給になることを考慮して、慎重に原告の処分時における病状を担当職員をして十分調査させ、かつ前記条例所定の指定医師二名による診断を経たうえで処分を行うべきであるのに、これを怠つたため、原告が復職できる健康状態にあつたのに、長期休養を要するものと誤認した過失がある。

よつて、前記休職処分と同様、被告は本件延長処分によつて原告が被つた損害につき賠償の責を負うべきである。

第三損害について

そこで、原告が本件処分により被つた損害について検討する。

一逸失利益

1  休職一年目(昭和三八年八月二四日から昭和三九年八月二三日までの分)

本件休職処分により、原告が別表一のとおり、合計金二二六、五二八円のうべかりし利益を逸失したことは当事者間に争いがない。

2  休職二年目(昭和三九年八月二四日から昭和四〇年八月二三日までの分)

本件休職延長処分により、原告が別表二の合計金額七一二、七五四円のうべかりし利益を失つたことは当事者間に争いがない。しかして、被告は、原告が、右期間中、金一九三、四〇一円の共済給付金を受領しているから、その限度で損害が填補されていると主張するので考えてみるのに、〈証拠〉によれば、原告は熊本県共済組合から昭和三九年一二月二五日より昭和四〇年三月末日に至る期間、休職による無給者等に支給される給付金合計一九三、四〇一円を受領していることが認められるから、原告が右処分により被つた損害は金一九三、四〇一円の限度で填補されたというべきである。

そうすると、原告の本件休職延長期間の逸失利益は右給付金を控除した金五一九、三五三円というべきである。

3  昇給延伸、退職金、退職年金の減額分

原告が前記二年間の休職による昇給延伸のため被つた損害額合計が、別表三のとおり、金八七、八九一円であること、ならびに休職により被つた退職金および退職年金の減額による損害額が前者金一二九、八一〇円、後者一一八、〇六八円であることは、当事者間に争いがない。

4  退職後の一年分の損害について

原告が昭和四一年六月三〇日五八才で退職したことは当事者間に争いがない。

原告は、右退職は本件休職および休職延長処分に基因するものであるから、退職後一年間の別紙四の逸失利益につき被告が賠償の責に任ずべきであると主張するので検討するに、〈証拠〉によれば、原告が復職後一年足らずで退職したのは、復職後も休職期間の生活費に当てた借金の返済に迫られ、また、本件訴提起の費用を捻出する必要もあつたので、原告においてそれらは退職金で賄なう外ないと考えたためであることが認められる。しかしながら、原告の退職金で返済しようとした借金の大半は、月五分の高利であつたことが〈証拠〉により認められるから、原告が利息制限法所定の弁済をする等債務整理に相当の配慮をすれば、退職までしなくても済んだことが考えられ、また、本訴提起の費用も、原告が訴訟救助、法律扶助等の方途を講ずれば、これに依存することも可能であつたと考えられるから、本件処分が原告の退職を余儀なくしたとは、いまだ認め難い。

したがつて、原告の請求は、右の前提が認められない以上、その余の点につき判断を加えるまでもなく、失当といわざるを得ない。

以上によれば、認容すべき逸失利益額は、4を除く合計金九九三、七五九円ということになる。

二慰謝料

原告が本件休職処分および休職延長処分により、二年間の休職期間中、職員たる身分を保有しながら就労できず、給与を減額ないし無給とされたこと、〈証拠〉により認められる同期間中の生活苦と、そのため原告が妻子に対して扶養教育の責任を十分果せず、肩身の狭い日々を過した心痛ならびに前示認定の原告の本件各違法処分の撤回を求めた数多の努力が事毎に無視され続けて本件訴訟にまで至つた心労、その他前示認定の本件各処分の違法性、過失の程度等諸般の事情を斟酌すると、原告の本件各処分により被つた苦痛を慰謝するには、金一〇〇万円をもつて相当と認める。

三弁護士費用

原告が本件損害賠償請求について弁護士に訴訟委任し本訴提起に及ばざるを得なかつたことは弁論の全趣旨により容易に認められるところであり、原告が原告訴訟代理人弁護士千場茂勝、同荒木哲也の両名に本訴の提起・遂行を委任し、昭和四八年五月一六日その報酬として、第一審判決の認容額の一割五分相当額(但し、同判決において弁護士報酬が変更されたときはその額とする。)を同判決言渡時に支払うことを約していることは、〈証拠〉により認められる。

よつて、本件訴訟の難易および認容額等に照らして、弁護士費用として、金三〇万円を相当と認める。

第四結論

以上の次第で、被告は原告に対し、国家賠償法第一条により、逸失利益金九九三、七五九円、慰謝料金一〇〇万円および弁護士費用金三〇万円の合計額金二、二九三、七五九円および弁護士費用を除く内金一、九九三、七五九円に対する弁済期の後である昭和四一年一〇月三一日から弁護士費用金三〇万円に対する本判決言渡日の翌日である昭和四九年一二月二六日から各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるといわねばならない。

よつて、原告の本訴請求は右の限度で正当であるから、これを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を仮執行の宣言につき、同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(糟谷忠男 中野辰二 原昌子)

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